Bリーグ1部・信州ブレイブウォリアーズは11日、サンロッカーズ渋谷戦後にジョシュ・ホーキンソンの日本国籍取得に関する記者会見を実施した。6日に日本国籍を取得し、10日にはリーグの選手登録を「外国籍選手」から「帰化選手」へと変更したホーキンソンは、SR渋谷戦で初めて日本人としてプレー。“デビュー戦”で24得点6リバウンドを記録した。試合後、集まった報道陣に対して改めて日本国籍取得への思いやその決断に至るまでの経緯を語った。
帰化を考え始めたのは4年前
―日本国籍取得について
まず、日本国籍取得に至るまでにサポートしてくれたたくさんの人々に感謝したいと思います。彼らの助けがなければ私は今の状況にたどり着くことはできませんでした。なので、パスポートを受け取ったときはいろんな思いがこみ上げてきました。自分だけではなくて、助けてくれた人々の思いや日本を背負っていくということ。そういったことがあったので、少しエモーショナルになりました。
―日本国籍取得を考え始めたのはいつごろか
3、4年前から考え始めました。日本国籍取得のためのプロセスやスケジュール、どういったことが必要になるかというのを知ったというのもあります。1日2日でできることではないですし、長い間そのことについて考えてきました。パスポートを受け取るためにやらなければならないこともたくさんありました。なので、大体4年前くらいから考え始めていたと思います。
―日本国籍取得の考えをご両親に伝えた時の反応は
両親には自分の考えについてたくさん話していました。彼らは私が子供のころから自分の夢を応援してくれていましたし、たとえその夢が彼らが私に思い描いていたものと違ったとしてもサポートしてくれていました。両親は自分たちの役割は私を正しい方向へ育てることだと理解していたからです。その後も私の個人的な夢ができた時には常に見守ってくれていましたし、夢を叶えるために手伝ってくれました。
また、両親も日本が大好きですし、私が日本を愛しているということを理解してくれていたと思います。年末年始に両親が長野に来て、試合を観戦したり、いろいろと紹介できたことも楽しかったです。日本国籍を取得する前に自分がどんな環境で過ごしているか、周りの人々から愛されているかを知ってもらうことができたのはよかったですね。その環境こそが自分が日本人になりたいと思った理由なので。
チームメイトからは「タカちゃん」
―日本国籍取得の知らせを聞いた時の感想やチームメイトの反応は
もちろんとてもうれしいということもありましたが、どこかほっとした思いがありました。(自分が日本国籍を取得するという)噂をみんなが知っている状態でしたし、「いつ帰化するの?」ってよく聞かれていたので(笑)。
でも、実際にはかなり前に申請は終えていましたし、ずっと政府からの知らせを待っている状態でした。なので、正直な気持ちとしては、その状態が少し自分の負担になっていた部分もありました。自分の日本国籍取得が決まらないとプレーできないというほかの選手もいましたので。そういった意味で少しプレッシャーを感じるときもありました。私にはどうしようもないことだったので。自分はかなり前に決断をし、申請をしていましたがタイミングについてはどうすることもできなかった。
申請が受理された知らせを聞いて、チームメイト全員もとても喜んでくれました。その後に「日本名を選べばよかったのに」って言われました(笑)。日本のパスポートにも自分の名前をそのまま使っていたので。なので、自分が使用したい日本名を考えてみました(笑)。もちろん公式なものではないですが、チームメイトや他の人が呼びたいときのために考えたのが「タカヒロ」です。「タカ」は鷹(Hawk)、「ヒロ」は大(Big)です。つまりBig Hawk(大きな鷹)です。Big Hawkというのはアメリカでも呼ばれていたニックネームの一つだったので、日本名にも同じように使いたかったんです。あとは名字がHawkinsonなので、家族への思いを込めました。別に「鷹大」と呼んでほしいとかではないのですが、最近日本国籍を取得してからはみんなに「タカちゃん」と呼ばれます(笑)。もう「ジョシュ」とは呼ばれていないですね(笑)。
日本代表でのプレーにも意欲
-今後の夢や目標は
チームとしては自分たちがなれる最高のチームになれるようにしたいです。シーズンも終盤に差しかかっていますし、すべての試合が重要になってきます。まずはけが人が戻ってきてフルパワーで戦える状況になるのが楽しみです。自分が帰化選手として、ほかの外国籍2人と同時にコートに立てるようになるので。それをコーチがどう操るのかも楽しみですね。
個人としては、もし機会があれば日本代表でプレーしてみたいです。その2つについてとてもワクワクしていますね。