琉球ゴールデンキングスに選手として在籍した頃に付けた背番号「5」が永久欠番となった、琉球のアンソニー・マクヘンリーAC。2008年から9シーズンに渡って琉球でプレーしたマクヘンリー氏は、2017年に信州ブレイブウォリアーズに移籍。2022-23シーズンを最後に現役を引退し、ユニフォームを脱いだ。今月10日に沖縄アリーナで行われる琉球と信州とのカードでは、試合終了後に記念セレモニーが開かれる。
バスケットボールニュース2for1では、「マックへ贈る言葉」と題して、マクヘンリー氏のキャリアと功績をインタビューから振り返る特別連載を企画。後編では、信州ブレイブウォリアーズの勝久マイケルヘッドコーチのインタビューをお送りする。
マクヘンリー氏が信州で過ごした6シーズンのうち5シーズンを共にした勝久HC。選手と指揮官としてチームを導いてきた同級生の2人は、B2優勝からB1昇格、そして現在に至るまで信州のカルチャーを築き上げてきた。永久欠番セレモニーを前に、勝久HCにマクヘンリー氏との思い出を振り返ってもらった。
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“高嶺の花”が信州へ 三ツ井「ありがとうございますという思いしかなかった」
2017年の夏、信州に衝撃が走った。アンソニー・マクヘンリーが琉球ゴールデンキングスから移籍してきたのだ。bjリーグ時代を知るファンにとっては特に衝撃だったことだろう。4度のリーグ優勝に貢献したことはもちろん、レギュラーシーズンMVP、ファイナルズMVP、ベスト5選出などあらゆる個人賞を総なめにしてきたのがアンソニー・マクヘンリーという選手だったからだ。同じbjリーグに所属していた信州ブレイブウォリアーズにとっては、いわば「高嶺の花」だったといえる。
Bリーグが開幕した2016-17シーズン、アルバルク東京と記念すべき開幕戦を戦ったのもマクヘンリー率いる琉球だった。一方の信州は当時B2に所属しており、Bリーグ初年度の成績は14勝46敗。リーグ順位は18チーム中17位に終わり、辛くもB2残留を決めるという状態だった。そんな中で届いたのがマクヘンリー加入の一報だった。当時を知る三ツ井利也はその時の気持ちをこう表現している。
「『琉球の選手が誰か来る』という話がチームに流れて、『さすがにマクヘンリーはないだろ』という話をしていたら、まさかの(マクヘンリーだった)。加入してくれると聞いたときはびっくりというか、『ありがとうございます』という思いしかなかったです」
のちのインタビューでマクヘンリー氏は「私がフリーエージェントになった早い段階で連絡してくれた唯一のチームが信州でした。早い段階で私を信頼してくれたので、このチームの助けになりたいと思ったんです」と信州加入の経緯について語っている。
勝久HCとタッグ B2優勝へと導く
マクヘンリーが加入した信州は17-18シーズン、前年よりも勝ち星を11積み重ね、25勝35敗で2季目を終えた。三ツ井はマクヘンリー加入の影響について「(チームが)変わりましたね。マックの練習に取り組む姿勢とか、いい刺激を受けました。そういう雰囲気もチームに伝わって、少しずつ良くなっていったのかなと思います」と振り返る。
マクヘンリーが動かしたのはチームだけではない。当時、栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)でアシスタントコーチをしていた勝久マイケル氏は、マクヘンリーとともに働きたいという思いもあり信州のHC職を引き受けた。勝久HCは話す。
「(マクヘンリーとの)出会いは、自分が(選手として)大阪にいた時。ライバルのチームの一つ、琉球で彼のプレーをいつも見ていて、本当にすごい選手だなと思っていたところから彼の存在を知りました。外から見ていた第一印象は『コーチの夢のような選手』だろうなと。プロフェッショナブルで常に正しことをやろうとしていて、素晴らしい選手でコーチャブル(コーチしやすい)で。
横浜で初めてヘッドコーチをやった時に、実はダメ元で誘ってみようとしたりしていました。そのときは沖縄から出ることは一切なかったんですけど、そのときからウェイン(マーシャル)とは組ませたいなとは思っていました。その時はメールでのやり取りだけだったんですけど。
年月が経って(マクヘンリーが)信州に来ると決まったときに、電話でゆっくり話したのが初めてゆっくり話したときでしたね。そこから自分が信州にいざ来て、毎日一緒に働くようになってから少しずつお互いを知り合うことになりました」
マクヘンリーにとって信州2シーズン目となる18-19シーズン。勝久HCが指揮を執り、ウェイン・マーシャル、石川海斗らを新たに加えた信州は破竹の勢いで勝ち星を伸ばしていく。開幕から10連勝を記録すると最終的には48勝12敗でレギュラーシーズンを終え、中地区優勝。B2プレーオフファイナルでは群馬クレインサンダーズに2連勝し、初のB2優勝を果たした。
HCと選手として初めてタッグを組んだ勝久HCはマクヘンリーのすごさを改めて実感した。
「信州1年目のB2プレーオフの中で、ギアをレギュラーシーズンからさらに上げて、すごいパフォーマンスを毎試合バック・トゥ・バック(2連戦)で。レギュラーシーズン60試合もそれはタフなスケジュールじゃないですか。当然誰もがアップダウンがある中で、プレーオフでさらにギアを上げた彼がすごいパフォーマンスを見せて。やっぱりすごいなと思いました」
HC就任1年目からB2優勝を成し遂げるなど順風満帆に見える勝久HCだが、マクヘンリーからの信頼を得るには時間を要した。数々の試練をともに乗り越えることで関係性を構築していったという。
「一緒に働いてみての第一印象は、多分自分もウェインもですけど、彼が心に受け入れてくれるまで思ったよりも時間がかかった。すぐに心を開くというよりは、時間がかかって。一緒に働くというプロセス、いくつもの試合というバトルを一緒に経験して乗り越えて、どんどんどんどん仲が深まる、信頼が深まるという感じでした。
信州に来た1年目は単身で来ていたんですけど、お互いファミレスによく行くから、ばったり会うことが多かったり、そこで話したり。練習でも、先ほど言ったように時間はかかったんですけど、少しずつコミュニケーションを深めていったり。良いときもたくさんあれば、理解し合うまでアップダウンも、マックとでもあったので。それも今ではもう彼とのいい思い出ばかりですし。一緒にだったか、一方的だったか覚えてないですけど、涙を流しながら会話したときのこととか。そういう会話もとても心に残っています」
「その時が来た」苦楽を共にした戦友からの電話
そこからB1昇格を経て、マクヘンリーと5シーズンを共にした勝久HC。このオフにはジョシュ・ホーキンソンや岡田侑大らB1昇格後の信州を支えた主力メンバーの退団が相次いだが、チームが変革期を迎える中でもマクヘンリーともう1年一緒にプレーしたいという思いがあったという。
「(マクヘンリーに)オファーはしていて、もう1年一緒にやりたいという思いがあって。でも、本人もいろいろ考えなければいけないことたくさんある中で、最終的に引退を決断したときに、電話をくれた。そのとき、自分はアメリカで友達と食事の真っ最中だったんですけど、正直ドキドキしていて。『あ、マックから電話だ』と。(電話に)出て、ドキドキしていて、それ(引退)を伝えられて。『そのときが来た』という(話をされた)。彼は達成してきたことにも満足というか、フルにやることをやったと思っているというように感じました」
ともに戦ってきた5年間に思いをはせながら、お互いに「今までありがとう」と称え合った。電話を切ると、涙が止まらなかった。
「(昨シーズン最後の)新潟戦から多分泣き虫の印象になってしまっているかもしれないですけど、もう、マックなので。マックとの電話の後、友達との食事の席に戻ったら『お前、どうしたんだ』っていうぐらいの状況になってしまっていて(笑)。(引退は)悲しかったですけど、いずれはその時が来るだろうなと分かっていたので」
琉球でのコーチングキャリアスタート「正直びっくりした」
以前、勝久HCとマーシャル、マクヘンリー氏の3人での対談を企画したときのことだ。話の流れで「マクヘンリーとマーシャルが引退後、もしコーチになったら」というテーマで3人が盛り上がっていた。マクヘンリー氏はプロになる前に母校の大学職員としてコーチをしていたが、「その時の経験がとても楽しかった」と語っており、勝久HCもまた、マクヘンリー氏がいいコーチになるのは「間違いない」と太鼓判を押していた。
時は流れ、40歳の節目に選手生活からの引退を宣言したマクヘンリー氏。信州では、21-22シーズンを最後に引退した井上裕介氏が翌シーズンからアシスタントコーチとしてチームに戻ってきたという例がある。マクヘンリー氏の引退に際しても、「コーチとして信州に残ってほしい」と願っていたファンは少なくなかったはずだ。
マクヘンリー氏の引退表明から約3週間後、琉球ゴールデンキングスがマクヘンリー氏のAC就任を発表した。Bリーグで、しかも古巣の琉球でまたマクヘンリー氏を見ることができるという喜びがあったのはもちろんだが、信州ファンにとっては「できれば信州でコーチ姿を見たかった」という複雑な思いがあったかもしれない。
マクヘンリー氏にコーチとして残ってもらうという選択肢はなかったのだろうか。勝久HCは答える。
「それもありましたが、まずは選手としてもう1年(一緒に)やりたかったので。そして、本当にストレートに話してしまうと、(マクヘンリー氏を)コーチとして残す予算が我々にあるのかといったらなかなか難しい部分もある。まずは選手としての返事を待っていて、その返事をもらってから次の選手探しに進んで、それに夢中な中で沖縄に決まったということを聞いた」
マクヘンリー氏が琉球でコーチングキャリアをスタートさせたことについては「正直びっくりした」と振り返る。
「3人目のお子さんが生まれたばかりでもありましたので、引退ということはきっと家族とアメリカに住んで、あっちでコーチングをキャリアを始めるのかなと。ラスベガスで会ったんですよ。そのときに彼の大学のコーチの方と一緒にいたり、NBAの練習見学をしていたり、いろんなネットワーキングをしていた段階でもありました。なので、きっとそっちでコーチングキャリアを始めると勝手に思っていた」
それでも、マクヘンリー氏が琉球に戻ることについては「嬉しく思う」と話す勝久HC。
「信州と一緒で、沖縄にとってはマックという存在は特別なものだと思うので、そういう本当に大事にされる場所で仕事ができていて嬉しいと思いますし。あとはもうきっとチームにとってすごく大きい心の支えと大きい存在なんだろうなと思って見ています」
信州にウィニングカルチャーを植え付けた6シーズン
選手としてのキャリア最後の6シーズンを信州で過ごしたマクヘンリー氏。Bリーグ開幕初年度には勝率2割3分3厘とB2下位に沈んでいた信州のカルチャーを変え、在籍した6年間での勝率は5割6分9厘(B2時代に限れば6割7分7厘)に引き上げた。キャリアを通して培った「勝者のメンタリティ」を信州に植え付け、勝久HCとともに一つの時代を築いたといっても過言ではない。
「若い選手にとっては頼もしすぎる存在ですし、常に頼れる存在ですし、お手本になるような存在。本当に毎日、ルーティン・やるべきことを成長のために何歳になってもやるっていうことをずっと続けていて、それを見ている選手には、良い刺激になったと思います。
毎年、全員と面談してチームメイトの話を1人1人から聞くことが多いんですけど、やっぱり『マックの存在が大きい』『40歳でああいうふうに頑張っているのを見ると、自分も頑張るしかない』とか、『彼のプロフェッショナルさを見て勉強になる』とか、そういう話ばかりです、周りから聞いても。本当に大きい存在で、それを十分に表せないです、言葉で」
信州でのセレモニー構想も「マックへの感謝の気持ちを伝えたい」
12月10日、琉球対信州の試合後にマクヘンリー氏の永久欠番セレモニーが開かれる。信州にとってはマクヘンリー氏が引退してから初めて「敵」として対戦する機会となるだけに、特別な思いをもって臨む試合になることは間違いない。
「我々もマックに同じくらい感謝の気持ちを伝えたい。当然いつかは信州でもそういうセレモニーをしたい、というか絶対します。スケジュール上、沖縄でというのが先になりましたけど、琉球さんが『信州が来るときに』とやってくれるのは本当に嬉しいですし。きっと我々がホームでセレモニーをやるときになるんでしょうけど、マックへの感謝の気持ちは個人的にもクラブ全体としても、彼に伝えたいなというのはあります」
マクヘンリー氏と再会した時に、どんな言葉をかけたいか。インタビューの最後に、勝久HCに尋ねてみた。
数秒考えた後に、一言。
「We miss you, and we love you. それだけですね」
微笑みの中に少しだけ見えた寂しげな表情は、マクヘンリー氏への愛と感謝とリスペクトを表していたのかもしれない。
(インタビュー、文=滝澤 俊之)