琉球ゴールデンキングスに選手として在籍した頃に付けた背番号「5」が永久欠番となった、琉球のアンソニー・マクヘンリーAC。2008年から9シーズンに渡って琉球でプレーしたマクヘンリー氏は、2017年に信州ブレイブウォリアーズに移籍。2022-23シーズンを最後に現役を引退し、ユニフォームを脱いだ。今月10日に沖縄アリーナで行われる琉球と信州とのカードでは、試合終了後に記念セレモニーが開かれる。
バスケットボールニュース2for1では、「マックへ贈る言葉」と題して、マクヘンリー氏のキャリアと功績をインタビューから振り返る特別連載を企画。前編では、琉球ゴールデンキングスの桶谷大ヘッドコーチのインタビューをお送りする。
マクヘンリー氏はキングスでプレーした2008〜17年の間に旧bjリーグでチームを4度の優勝に導き、レギュラーシーズンMVPやファイナルズMVPも受賞した。202cmの身長がありながら万能なプレーでチームを引っ張る姿から、初めの2度の優勝を共に経験した桶谷HCは、マクヘンリー氏を「Mr.Everything」(なんでもできる選手)と評する。
当時は選手とコーチで立場は違えど、2008-09シーズンに琉球に入団した“同期”で、その後は敵として相対し、今シーズンからは共にコーチとして再び琉球で共闘している桶谷HCとマクヘンリーAC。永久欠番セレモニーを前に、桶谷HCにマクヘンリーACへの想いを語ってもらった。
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大学時代の映像を見て「このサイズでこのプレーすごくない?」
2007-08シーズンに初めてbjリーグに参戦し、初年度はディフェンス面の課題が大きくウエスタンカンファンレンス最下位に終わった琉球。チームを改革するため、同シーズンに大分ヒートデビルズでHCを務め、ディフェンスの構築に定評があった桶谷氏を新HCに迎えた。さらにリーグ3連覇中だった大阪エヴェッサからジェフ・ニュートンも獲得し、2シーズン目に向けて立て直しを図った。
そんな時、米国ジョージア州アトランタ出身のニュートンから、地元の同じ地域で一緒にピックアップゲーム(即席でチームを決めて試合をすること)をしている選手を紹介したいという申し出がチームにあった。ニュートンは「すごいsleeper(寝ている人)がいる」と表現したという。それが、マクヘンリー氏だった。
米大学バスケNCAAの強豪で知られるジョージア工科大学でチームを「FINAL FOUR」に導き、その後は英国リーグとNBAの下部リーグでプレーしたが、この頃は既に一線を退いて母校のジョージア工科大学でコーチ修行をしていた。ニュートンのsleeperという表現は、そのためである。
球団はエージェントを通してマクヘンリー氏の大学時代の映像を入手。桶谷氏は初めてプレーを見た時の印象をこう振り返る。
「一回映像を見て、サイズのある選手の中でセンスが違うことがすぐに分かりました。『あれ、このサイズでこのプレーってすごくない?』って。オフェンスでは4番のプレーシーンが多かったのですが、ハンドリングとかを見ていると全然外回りもできると感じました。実際、大学に入る前はガードをしていたということでした」
当時、一緒に映像を見ていた木村達郎社長や安永淳一取締役(現GM)も同じような反応だったという。さらに桶谷氏が強く印象に残っていることがある。送られてきた映像の構成だ。
「自分のプレー映像をチームに送る時って、多くの選手は得点シーンを最初に出すんです。でも、マックはディフェンスをしているシーンが最初にずっと続いた。それは、おそらく本人の意思が入っていたんだと思います。自分の一番強調したいプレーはこれだ、と。映像では、1番から5番まで守れるようなディフェンスをしていました」
そのアピールポイントは、ディフェンス力を強化したい琉球にとっては願ってもないことだった。木村氏、安永氏、桶谷氏は急きょアトランタに向かい、現地のホテルのラウンジで当時20代半ばだったマクヘンリー氏と直接面談。一度現役を引退していたため、その時点ではまだ体は絞られていなかったが、本人は現役に戻りたい意志があり、桶谷氏は受け答えの様子から「好青年だな」と感じたという。
人間的にも成長 共に2度の“bj制覇”を達成
迎えた2シーズン目、琉球は開幕9連勝で最高のスタートダッシュを切る。レギュラーシーズンを41勝11敗という圧巻の強さで駆け抜け、ウエスタンカンファレンス1位でプレーオフに進出。準決勝で大阪、決勝では東京アパッチに勝利し、前年度の地区最下位から一気に頂点まで上り詰める“奇跡”を起こした。
琉球はこのシーズン、得点力の高い澤岻直人や金城茂之、キャプテンの友利健哉、海外経験もあった菅原洋介、ベテランの青木勇人など個性的なメンバーが揃い、外国籍選手もマクヘンリー氏とニュートンに加え、クリス・エアーとブライアン・シンプソンという汗かき役もいて「めちゃくちゃバランスが良かった」(桶谷氏)。中でも、マクヘンリー氏とニュートンのコンビは強烈だった。
「2人ともハードワークするし、チームメイトを生かそうとするプレーができる。外国籍選手は自分が点を取りたいという選手も当時は多かったけど、彼らは違いました。でも、点を取りに行かないといけないところでは、自らちゃんと取りに行く。さらにこの2人を先頭にチームでディフェンスマインドがしっかりとあったから、負けないチームでした」
指揮官から見ても、開幕直後に連勝した時点で既に「これ(優勝まで)いけるんじゃないの?」と直感していたという。
一方、先述のように、当時のマクヘンリー氏はまだ20代半ばで若い選手だった。入団1年目では怪我もあり、まわりとコミュニケーションを取らずに塞ぎ込む時期もあったという。しかし、徐々に人間として成熟し、変化が見られていった。
「プレーができない時、練習中にフードを被ったりして負のオーラを出していることもありましたが、ちょっとずつ姿勢が変わっていきました。オフコートでもチームメイトとよく喋るようになったし、日本のチームではどういう振る舞いが必要なのかを理解していったと思います。むーさん(当時ACだった伊佐勉氏)がみんなに体育館のモップ掛けや荷物運びとかをやらせていたから、日本人だから、外国人だからという感覚はなく、一つのチームでした。そういうこともちゃんと理解して、受け入れることができるのもマックはすごいですよね」
シーズンを重ねるごとに、大黒柱としての存在感を強めていったマクヘンリー氏。桶谷氏が初めに琉球のHCを務めた4季で最後のシーズンとなった2011-12シーズンに琉球は2度目のbjリーグ制覇を達成し、マクヘンリー氏はファイナルズMVPに輝いた。
“壁”となって立ちはだかったマクヘンリー
その後、桶谷氏はHCとして岩手ビッグブルズ、大阪、仙台89ERSを渡り歩き、敵としてマクヘンリー氏と相対してきた。
中でも、忘れられない試合がある。自身が大阪のHCを務めていたBリーグ開幕1年目の2016-17シーズンで、レギュラーシーズンの最後に琉球と最終節を戦った時だ。両チームはチャンピオンシップ進出を激しく争っており、沖縄市体育館での2連戦で大阪は一つ勝つこと、琉球は2連勝することがプレーオフ進出の条件だった。
1戦目、琉球は第3Q終了時点で16点ビハインドを背負っていたが、そこから猛追。マクヘンリー氏が第4Q最終盤で値千金のブロックを決めて延長に持ち込み、その後に勝ち越し点を決めて勝ちを引き寄せた。2戦目も16得点、5アシスト、4リバウンド、4スティール、1ブロックという圧巻の活躍を見せ、勝利の立役者に。自身にとって琉球最後のシーズンで、プレーオフ進出を果たす原動力となった。
そのプレーぶりは、相手HCとして痛い目を見せられた桶谷氏の脳裏に今も鮮明に焼き付いている。
「1戦目は大逆転負けでした。あの時、マックが前半は3Pをほとんど打っていなかったんですけど、後半で2連続くらいで決めて、そこから一気に流れを持っていかれたんです。キングスをホームで乗せちゃうと止められない。よく覚えています。ああいうところは『やっぱマックやな』と思います。大一番で躍動するし、何より劣勢でも諦めない。当たり前のことをコツコツやり続けられる。ホームランプレーを狙わないところは、いいところですよね」
その後も、マクヘンリー氏は桶谷氏にとっての“壁”として立ちはだかり続けた。桶谷氏は自身が仙台のHCを務め、マクヘンリー氏が信州でプレーしていた2019-20シーズンをもう一つの例に挙げる。
このシーズンはコロナ禍でシーズンが途中終了となり、B2プレーオフは中止に。その時点で、上位2チームがB1自動昇格となるB2は仙台が東地区1位、信州が中地区1位、そして広島ドラゴンフライズが西地区1位だった。ただ、勝率などによる全体順位は1位信州、2位広島、3位仙台となったため、仙台は惜しくも昇格を逃す結果となった。
「この時もマックにやられているんですよね、僕は」と笑う桶谷氏。当時30代半ばに差し掛かっても一線でプレーし続け、信州をB1昇格に導いたマクヘンリー氏の印象も語ってくれた。
「信州に行った後、運動能力が落ちてもバスケットボールはどんどん上手くなっていった。それがマイク(勝久マイケルHC)の細かいバスケットにすごいフィットしていた印象でした。信州移籍後も『やっぱりマクヘンリーすごいね』『信州でも成功したよね』ってみんなが思ったんじゃないかな。まわりの選手も彼の言葉はすごく入ってくるだろうし、見本にできたんじゃないかと思います」
マクヘンリー氏は信州で6シーズンプレーした後、2022-23シーズンを最後に引退。そして今シーズン、アシスタントコーチとして琉球に再入団した。沖縄の地に舞い戻る際には、桶谷氏に「日本一のヘッドコーチの下で勉強がしたい」と熱い想いを伝えたという。
“プレーヤー目線”が新生キングスの強みに
今シーズン、球団初の2連覇を目指している琉球だが、スタート時から台所事情は厳しかった。大黒柱の#45ジャック・クーリーが開幕前に負傷し、日本代表活動をしていた#30今村佳太も開幕時は不在。#53アレックス・カークを補強したが、今度は#4ヴィック・ローが負傷離脱するなど、なかなかメンバーが安定しない状況が続いた。それでも現時点で13勝4敗の西地区2位と大きく勝ち越しており、桶谷氏はその要因の一つにマクヘンリー氏の存在を挙げる。
「やっぱり、彼がプレーヤーだったということは一番大きいです。しかもいろんな経験をして、いろんな目線を持っている選手だった。僕も含めて他のコーチはプレーをする立場になかったから、違った目線から彼が話をしてくれることはとてもチームにとってプラスになっています。とても重みがあるし、説得力がある」
外国籍選手にとってもマクヘンリー氏はいい相談相手になっており、チームを一つにする上で大きな役割を担っている。指揮官が続ける。
「ダーラムやヴィック、ジャック、アレックスも、みんな彼のところに話しに行けるのは昨シーズンに比べてとてもいいポイントです。開幕時から選手がいろいろ変わる中で、その度に攻守のシステムを選手に合わせないといけない。それをスムーズにできているのは、マックの力がとても大きいです。他のスタッフ陣もすごい努力をしているし、マックもそれに対してちゃんとレスポンスをしているから、お互いにリスペクトができています」
選手時代に培った高いバスケットボールIQや人間力は、既にコーチとしての素養に昇華されているようだ。
今回、琉球ではマクヘンリー氏がニュートン、金城茂之に続く3人目の永久欠番となったことについて、桶谷氏は「それに値する人間ですよね。人から愛される。バスケットが上手いだけではなかなか同じチームにはいられないけど、チームメイトやファンを大切にしているからこそ、彼は同じチームに長く所属し、結果を残し続けることができた。だからこその永久欠番だと思います」と、それが当然の事であるかのように語り、マクヘンリー氏の人間性を称賛した。
インタビューの最後、マクヘンリー氏に対してのメッセージを求めると、同じコーチという立場から熱いエールのコメントを発してくれた。
「アシスタントコーチとしてはルーキーイヤーなので、これからいろんな経験をしていくと思います。バスケットを教えるだけじゃなくて、選手やコーチ陣を含めたチーム全体のマネジメントもやっていかないといけない。いろんなものを学びながら、先々はヘッドコーチになり、日本のバスケット界をまた盛り上げていってほしいなと思います」
(インタビュー、文=長嶺 真輝)