「キングスの顔になる」琉球に電撃加入した崎濱秀斗…米国挑戦からの帰国理由と、憧れの“ゴールド”をまとう覚悟
琉球ゴールデンキングスに加入した崎濱秀斗(左)と岸本隆一©Basketball News 2for1
沖縄を拠点とするフリーランス記者。沖縄の地元新聞で琉球ゴールデンキングスや東京五輪を3年間担当し、退職後もキングスを中心に沖縄スポーツの取材を続ける。趣味はNBA観戦。好物はヤギ汁。

 Bリーグ西地区の琉球ゴールデンキングスは3月28日、特別指定選手としてプロ契約を結んだ崎濱秀斗の入団記者会見を沖縄サントリーアリーナで開いた。

 「キングスの顔になるのが将来の目標です」

 緊張で少し強張った表情ではあったが、人生の新たなステージへと踏み出した19歳の顔つきは、時折り精悍さをのぞかせた。

 地元沖縄の出身。福岡第一高校の3年時にはエースガードを担い、最後のウインターカップでは全試合で二桁得点を記録してチームを優勝に導いた。

 卒業後は第17回「スラムダンク奨学金」の奨学生として単身渡米。昨年8月にはNCAAディビジョン1(D1)のメリマック大学へコミットした。しかし、11月にコミットを解除したことを公表。去就が注目されていた中での電撃的な琉球加入だった。

  米国挑戦からの帰国、そして、このタイミングで幼い頃から憧れを抱いていた“ゴールド”のユニフォームをまとう決断をした背景は何だったのかーー。

「より高いレベルで…」D1大学コミット解除の理由は

 米国ではプレップスクールの「セントトーマスモアスクール」で学業とバスケスキルの向上を両立していた崎濱。渡米前からD1の大学からオファーをもらうことを目標に掲げていたため、メリマック大学とのコミットを解除したニュースに「?」が浮かんだ人は多かったはずだ。

 決心した理由はチームの水準だった。

 「実際に大学へ見に行き、D1の試合も初めて見させてもらったのですが、『自分ならもっと上でやれる』と感じました。大学では試合前のアップから全部見ました。率直に言うと、フィジカル面やスキル面、シュート力など全てにおいてもっと上のレベルでやりたいと思いました」

 再びオファーを待つ状態に戻った崎濱。そんな時、高校時代から崎濱に注目し、当時から「将来はキングスに来て一緒にバスケがしたいな」という話をしていたという琉球の桶谷大HCから連絡が届いた。

 桶谷HCも高校卒業後にコーチング留学で単身渡米しており、その経験も踏まえながら、以下のような経緯を明かした。

 「米国に行くのは良い部分と悪い部分があります。米国はオフェンスマインドが強い国なので、その点ではどんどん成長できる。でもディフェンスは雑な部分があり、攻守をバランス良くできる秀斗の持ち味が削られていくのが、見ていて苦しいなと感じていました。新しいオファーを待つ状態になった時、『キングスどう?』と話をしました」

 米国に残って再びD1を目指すか、日本に戻ってプロ選手としてのキャリアを歩み始めるか…。悩んだ末、崎濱が後者を選択した理由はこうだ。

 「今、自分が一番成長できる機会があるのは日本のプロのレベルだと思いました。厳しい世界なので、プロ入りのチャンスが巡ってくることにはあまり期待はできませんでしたが、キングスが素晴らしい機会を与えてくれました。プロの世界で挑戦したいと思い、決断しました」

 米国のバスケットスタイルに対し、桶谷HCと同じような印象も感じていたという。

 「米国はオフェンスがアイソレーションばかりで、ディフェンスもチームでやるという感じではありませんでした。大学に行ったら少し違ったとは思いますが、自分が行った学校はそういう文化でした。自分の力不足もありますが、ピック&ロールなどの自分の強みを生かすことがなかなかできませんでした。キングスはディフェンスのチームで、そういったところでも貢献できる自信があったので、入団したいと思いました」

 さらなる高みを求め、中学2年生の時に沖縄を飛び出した崎濱。西福岡中学校、福岡第一高校と日本トップレベルの環境で腕を磨き、18歳で本場米国へ渡った。今回の選択も含め、「より高いレベルに挑戦する」という事が、まるで生きがいのようだ。

26日の川崎戦でデビューを果たした崎濱©琉球ゴールデンキングス

15歳年上の同郷PG・岸本隆一「彼には彼の道がある」

 幼少期の多くは、沖縄サントリーアリーナが立地する沖縄市で過ごした。父・秀勝さんは高校バスケの指導者。自身が小学3〜4年生の頃にバスケを始めたきっかけは、琉球の存在だった。

 「以前、お父さんが北谷高校に赴任していたのですが、その時のキングスのホームコートは沖縄市体育館で、試合前のキングスの練習場が北谷高校だったんです。体育館の上のギャラリーからいつも見させてもらって『バスケがしたい』と思いました。キングスのおかげでバスケを始め、夢中になりました。僕にとって、キングスはそのくらい大きな存在なんです」

 特に同郷である岸本隆一並里成のポイントガード(PG)コンビのプレーには目を輝かせた。

 「キングスは毎試合観ていましたが、一番心に残っているのは岸本選手と並里選手が2人出た時の速いトランジションバスケットです。子どもの頃から、将来はああいう選手になりたいとずっと思っていました。小柄でも高いレベルでやっていける姿をずっと見てきたので、自分も頑張っていこうと思います」

 15歳年上の岸本は会見中、時折り柔らかい笑みを浮かべながら崎濱の左隣りに座っていた。生え抜き13シーズン目。より大きな期待がかかる地元出身プレーヤーとして、大きな責任感を背負ってきたことは想像に難しくない。だからこそ、崎濱が感じるプレッシャーを和らげるような言い回しで、エールを送った。

 「有意義な時間を過ごしてほしいです。彼も沖縄出身ですが、彼には彼の道がある。目標、目的に向かって真っ直ぐに向かって行ってほしいなと思います。少しでも助けになることがあれば、協力していきたいです」

崎濱にエールを送る岸本©Basketball News 2for1

「夢のスタート」に高揚感のぞかせる

 崎濱の最大の武器は、ピック&ロールからの高い得点力である。外角シュートやドライブなどスキルセットは多い。高校最後のウインターカップで勝負強さも証明済みだ。

 3月26日にアウェーであった川崎ブレイブサンダース戦では既にBリーグデビューを果たしており、第2クオーター(Q)に1分13秒コートに立った。外しはしたものの、短い時間の中でミドルジャンパーを1本放ち、桶谷HCに「19歳であそこで打ちに行けるメンタリティはすごい。あのワンポゼッションに夢を見ましたね」と言わしめる。

 留学を意識し始めた中学時代から、ほぼ独学で身に付けた英語力も高い水準にある。安永淳一GMによると、米国出身のアレックス・カークが「彼の英語はパーフェクトだ」と太鼓判を押したほど。コート上の司令塔であるPGが、チームの主力である外国籍選手たちと違和感なくコミュニケーションを取れるメリットは間違いなく大きい。

 一方で、「絶対にここで満足しちゃいけない」と言うように、Bリーグで通用するPGになるためにはフィジカルやスキル、状況判断などのレベルを底上げする必要性は自覚している。琉球には岸本をはじめ、伊藤達哉平良彰吾と個性豊かなPGが揃っており、「見て学び、近い将来、自分もチームを勝利に導けるようなガードになれるように1日1日を大切にして頑張っていきたいです」と気を引き締める。

 幼心に憧れたゴールドのユニフォームに袖を通した崎濱の表情には、会見を通して笑みが目立った。高校生の頃と比べると、少し異なる印象だ。緊張もあったろうが、それ以上に高揚感が見て取れた。

 沖縄出身PGの系譜を受け継ぐ覚悟も含め、そのワクワク感もしっかりと言語化した。

 「いつかキングスでプレーをさせてもらいたいという思いはずっと心の中にあって、一番の夢でした。夢のスタートに立って、本当にうれしく思っています」

 「自分が子どもの頃、岸本選手や並里選手に楽しませてもらったように、次は自分が沖縄の子どもたちに夢を与えられる選手になれるように頑張ります」

 強い決意を胸に、「夢」の続きへと足を踏み出した。

(左から)安永淳一GM、桶谷大HC、崎濱、岸本©Basketball News 2for1

(長嶺真輝)

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