この冬、一人のプロバスケットボール選手が自身のキャリアにとって大きなターニングポイントを迎えた。
Bリーグで西地区首位を走る琉球ゴールデンキングスの#53 アレックス・カークである。米国南西部に位置するニューメキシコ州出身の32歳。NBAのクリーブランド・キャバリアーズでプロキャリアを始め、イタリア、中国、トルコのリーグを渡り歩いた。2017-18シーズンから6シーズンに渡ってアルバルク東京に所属し、今季から琉球に加入。そして今年1月25日、悲願であった日本への帰化申請が許可された。
世界トップのリーグも経験したカークが、なぜ新たな故郷に日本を選んだのか。そして今、2連覇を見据えるキングスでのプレーについてどう感じているのか。2月28日のメディア向け公開練習後、インタビューに応じた。
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関わった全ての人に「感謝」 長いプロセスでストレスも
帰化が認められてから約1カ月。改めて今の心境を聞いた。
「自分自身を誇りに思います。帰化が通るまでに家族など様々な方のサポートがあって申請が通ったので、今日本人としてプレーができています。その方々には感謝の気持ちを述べたいです」
帰化申請をするためには、申請時までに日本に5年以上住んでいることや、素行、生計などさまざまな前提条件を満たす必要がある。それに加えて多くの提出書類や審査があるため、法務省から許可を得ることは容易ではない。
カークも申請や審査にかかる長いプロセスの中で「時々、いつ通るのか安心できない期間もあって、ストレスで緊張もしていました」と振り返る。それでもA東京、琉球とチームを変える中でも継続して周囲から支援を受けることができ、「まわりからのサポートもあり、自分は帰化申請が通って非常にラッキーだなと思っています」と改めて感謝した。
帰化に向けて自身の日本名もいくつか思案していたというが、最終的には「アレックス・カーク」という名前のままでいることを選択した。
「申請が通った時に自分の名前のままで日本人として過ごすことができると分かったので、その段階で生まれ持った名前のままでいることを決めました。国籍は変わりましたが、それは非常に嬉しいことです」
Bリーグが発展する中でプレーすることは「非常に光栄」
NBAという世界最高峰のリーグに加え、様々な国のリーグを経験したカークが、そもそもなぜ日本でプレーすることを選んだのか。
「トルコでのシーズンが終わった後、次のシーズンでプレーする場所を探していた中で、欧州も考えてはいましたが、アルバルク東京から良いオファーを頂きました。Bリーグは今後進化していくだろうと言われていたリーグだったので、自分としては『挑戦してみたい』という思いが湧きました」
Bリーグ創設2年目の2017-18シーズンに加入したカークは、就任1年目だった名将ルカ・パヴィチェヴィッチHC体制の下、馬場雄大(長崎ヴェルカ)や田中大貴(サンロッカーズ渋谷)、安藤誓哉(島根スサノオマジック)、竹内譲次(大阪エヴェッサ)などスター揃いの中で不動のセンターに定着し、そのシーズンからチームの2連覇に大きく貢献。個々の選手の成長や、チームの経営規模の拡大など、日本バスケ全体の発展を肌で感じながらプレーをしていた。
「Bリーグが発展していく中で、自分もその成長過程を見ながらA東京の選手としてプレーをすることができていました。それは非常に光栄だと思っています」と振り返る。年々、日本に居心地の良さを感じる自分がいた。
きっかけはA東京3年目で優勝した「アジアチャンピオンズカップ」
するとA東京3年目に入った2019年、日本への帰化を考え始めるきっかけとなる出来事が起きる。シーズンの開幕前、Bリーグの前年度王者として参戦した、タイ・バンコクで行われたクラブの国際大会「FIBA Asia Champions Cup 2019」で優勝した時のことである。ちなみに、カークはこの大会でMVPに輝いている。
「その時、A東京のチームメイトと『また日本代表チームでプレーできたらいいな』と思い始めていて、何人かが帰化申請の存在を教えてくれて、『挑戦してみたら』と言ってくれました。それを機に帰化申請を考えるようになりました」
今年の1月30日に帰化選手登録が完了した際、カークは球団を通して以下のコメントを発している。
「私は日本で多くの日本代表の選手とプレーしてきました。田中大貴選手、安藤誓哉選手、竹内譲次選手など、彼らの多くが私に帰化申請に進むように常に後押しし、励ましてくれました。自分のチームメイトが日本代表でプレーし、その成功を見ることは私の誇りでした。そして、私も渡邉飛勇選手や今村佳太選手といった選手たちと一緒に(日本代表入りへ)挑戦したいと思っています。もしその機会を得たら、日本だけでなく、新しい故郷である沖縄を代表する選手になりたいと思います」
昨夏に沖縄アリーナなどで行われたW杯で、48年ぶりに自力で五輪出場権を獲得したアカツキジャパン。一人のみの帰化枠は代表チームにとって極めて重要度の高いポジションとなっているため、カークのような実績十分の選手が名乗りを挙げ、競争環境が激しさを増すことはチームのレベル向上に向けて歓迎すべきことだろう。
“新天地”琉球の最後のピースに「2連覇したい」
昨年は自身のプロキャリアの半分以上を過ごしたA東京を離れ、新天地に足を踏み入れた。対戦相手としての琉球は、難敵の一つだった。「遠征で沖縄に来るのはいつも楽しみでした。試合では選手もそうだけど、コーチ陣も含めて組織で戦っているイメージがありました。ファンが作り出す雰囲気も同じです。アルバルクとキングスの試合はいつもタフでした」
Bリーグキャリアで最少の平均出場時間となった昨シーズンの終了後はBリーグ球団からのオファーがなく、「非常に落ち着かなかった」という。そんな中、開幕前に大黒柱のジャック・クーリーが負傷した琉球からオファーが届き、「自分がアウェーチームとして戦う時に楽しみな街の一つだった沖縄で、今度はホームチームの選手としてプレーできるということを知った時はとても嬉しかったです」と振り返る。
その時点でいつ帰化できるかの見通しは当然立っていなかったが、クーリーが復帰するタイミングでヴィック・ローも負傷し、引き続き外国籍選手の一人としてチームを支え続けた。
帰化登録選手として始めてプレーした1月31日の佐賀バルーナーズ戦では、「自分がコートに立った時の歓声は今でも覚えてます」と笑みを浮かべる。その試合を含めた琉球の最近9試合の対戦成績は8勝1敗で、2月14日にホームで行った川崎ブレイブサンダースとの天皇杯準決勝も98ー70で快勝した。琉球は西地区1位ではあるが、1月を4勝5敗で負け越すなど前半戦は連係に苦しんでいた面もあったため、カークの帰化がチーム力を底上げしたことは誰の目から見ても明らかだ。
特に、カークが帰化したことでアレン・ダーラム、ローとの強力な3BIGを形成できるだけでなく、過去3度にわたりリバウンド王に輝いたジャック・クーリーがベンチスタートとなったことは、対戦相手からすると脅威という他にない。カークも「出場時間が減っても、ジャックがBリーグで最高なリバウンダーであることに変わりはありません。彼がベンチから出てくるスタイルもチームとしてフィットしてくると思います」と語り、チームの強みになっていると見る。
今月16日には、琉球にとっては初優勝が懸かる天皇杯決勝が迫る。自身もBリーグでは2度の優勝を経験しているが、天皇杯は準決勝までが最高成績でファイナルは初の舞台だ。その先にある自身2度目のBリーグ連覇に向け、決意は固い。
「EASLを含めた三つの大会で優勝することは非常に偉大なことだと思っています。私たちはBリーグで2連覇が懸かる唯一のチームです。A東京の時に2連覇を経験しましたが、それがどれくらいすごいことかは分かっているつもりですので、そういった意味も含めて2連覇をしたいです。天皇杯も一つの大きな節目の大会であり、決勝もそこまで来ているので、もう一つ取りたいと思っています」
史上初の天皇杯、Bリーグの二冠獲得という偉業を見据える琉球にとって、最後のピースとなった“帰化選手”アレックス・カーク。インタビューの最後に、得意の日本語でファンに向けたコメントを求めると、柔らかい笑顔でメッセージを送ってくれた。
「皆さんこんばんは。今シーズン、サポートしてくれてありがとうございます。一緒にエンペラーズカップ(天皇杯)、(Bリーグの)チャンピオンシップを勝ちましょう!」
(長嶺 真輝)