5年ぶりに琉球ゴールデンキングスへ復帰した佐々宜央氏、誓う沖縄への「恩返し」 盟友・桶谷大HCが“出汁”と評する強みとは…
沖縄アリーナを盛り上げる琉球ゴールデンキングスの佐々宜央アソシエイトヘッドコーチ©Basketball News 2for1
沖縄を拠点とするフリーランス記者で2for1沖縄支局長。沖縄の地元新聞で琉球ゴールデンキングスや東京五輪を3年間担当し、退職後もキングスを中心に沖縄スポーツの取材を続ける。趣味はNBA観戦。好物はヤギ汁。

 Bリーグクラブ初のヨーロッパ遠征、主力の退団と新戦力の加入…。今オフ、Bリーグ琉球ゴールデンキングスを巡る驚きのニュースはいくつかあったが、それらと負けず劣らず、ファンに大きな衝撃を与えた出来事があった。

 元ヘッドコーチ(HC)である佐々宜央氏の復帰である。

 役職名はアソシエイトヘッドコーチ。若手の育成などを通し、盟友である桶谷大HCの表現したいバスケットボールを補強する役割だ。

 2017-18シーズンに琉球の5代目HCに就き、チームを初のBリーグ西地区優勝に導くなど手腕を発揮。熱量たっぷりに指揮する姿は沖縄のファンに深く愛された。しかし、2019-20シーズンの途中に退任。沖縄との別れは唐突にやってきた。

 「客観的に見て、僕が戻ることに対して『なんで途中でいなくなった人が…』と思う方も当然いると思います」と言うように、ファンの中には複雑な心境を持つ人がいることも重々承知している。だからこそ、今回の決断にはそれ相応の覚悟が必要だったはず。

 何が、佐々氏を再び沖縄の地へと向かわせたのか—。

初の「西地区優勝」を達成 琉球を強豪に押し上げる

 Bリーグの前身の一つであるbjリーグで最多4度の優勝を誇った琉球だったが、Bリーグ1年目は29勝31敗で負け越し。佐々氏の下で再び強豪の地位を固めるべく、石崎巧や古川孝敏、須田侑太郎、アイラ・ブラウンなど有力な選手も同時に獲得した。

 東海大学在学中に指導者の道に入り、日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)やリンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)、日本代表などでアシスタントコーチ(AC)を歴任。豊富な経験が評価され、Bリーグ開幕2シーズン目に琉球のHCに就任した。当時、若干33歳。HCとして指揮を執るのは琉球が初めてだった。

 運動量豊富できめ細かい連係を重視するディフェンスを浸透させた結果、前シーズンから平均失点を10点以上減らし、42勝18敗という強さで初の西地区優勝を達成。セミファイナルまで駒を進めた。並里成や橋本竜馬らを加えた翌2018-19シーズンも40勝20敗で西地区2連覇を果たした。沖縄市体育館で行ったセミファイナルでは、このシーズンで2連覇を飾ったアルバルク東京を相手に第3戦までもつれ込む死闘を演じ、Bリーグにおいて琉球が紛れもない強豪の一角に入ったことを印象付けた。

 佐々氏自身、当時の経験が自らの成長につながったと実感している。

 「Bリーグには日本各地にチームがありますが、キングスほど県全体に愛され、応援されているチームは多くありません。アウェーでも応援してくれるファンがたくさんいて、沖縄を代表して戦っているという感覚で、充実感が大きかったです。東京生まれの自分がHCになって、初めは不安もありましたが、受け入れてくれて本当に感謝していました。その経験は、その後の日本代表のACを務める時にも生かされました」

笑顔を見せる佐々氏©Basketball News 2for1

心の隅にあり続けた「心残り」と確固たる「決意」

 順風満帆なスタートを切ったかに見えたHCとしてのキャリア。しかし、就任3シーズン目の序盤戦を終えた2019年12月に事態は急変する。「心身の疲労困憊」を理由に自ら退任を申し出て、チームを後にした。

 当時、国内初となるバスケ観戦に特化したアリーナである「沖縄アリーナ」の建設も着々と進み、チームの強化のみにとどまらず、クラブ経営を含めた両面で上昇気流に入っていた琉球。30代半ばという若さでチームの先頭に立ち、佐々氏にかかるプレッシャーが極めて大きかったことは想像に難しくない。

 「若い時に責任のある立場になると、頭のどこかで『威厳を出さなきゃ』とか『監督っぽくしないと』とかの考えが生まれることがあります。まだ若くて未熟だったこともあり、選手とコミュニケーションを取る量こそ多かったけど、当時は僕の方の主張が強過ぎたように思います」

 勝利を重ねれば重ねるほど、苦悩は増した。「特に2シーズン目は並里が戻ってきたりして、より『結果を出さないといけない』という気持ちが強く、いつもキリキリしながらやっていました。だから、選手が僕の顔色をうかがうような雰囲気もあった。反省すべき点でしたね」と振り返る。

 その後、少し期間を空け、古巣である宇都宮で再び指導者の道を歩み始める。ACを務めていた2021-22シーズンはファイナルで琉球を下し、優勝を達成。2022-23シーズンからHCに就き、2023-24シーズンは堅守を武器に51勝9敗でB1最高勝率を記録した。その間、トム・ホーバスHCが率いる男子日本代表のACも兼任し、昨年のW杯、今夏のパリオリンピックも経験した。

 再び、輝かしいコーチキャリアを描いていった佐々氏。ただ、胸中には消えることのない「心残り」がくすぶり続けていたという。琉球というクラブ、そして沖縄への想いだ。

 「初めてHCとしての経験をさせてもらった琉球をああいう形で途中離脱してしまい、ずっと心残りがありました。Bリーグだけでなく、W杯やオリンピックという素晴らしい経験もさせてもらったからこそ、いつかキングス、沖縄に戻って恩返しができるタイミングがあればいいなという想いが心の隅にずっとありました」

 安永淳一GMに加え、酒を酌み交わしたり、シーズン中に頻繁に連絡を取り合ったりする深い仲である桶谷大HCからも誘いを受けた。「すごく恵まれたオファーでしたが、客観的に見て、途中でいなくなった人をチームに戻すというのはキングスや桶さん、安永さんにとってマイナスになるんじゃないか」。不安が脳裏をよぎった。ただ、「恩返しをしたい」という強い気持ちがそれを凌駕した。

 「僕は本当に、沖縄という地がものすごく好きなんです。2シーズン連続で地区優勝をさせてもらい、いい思い出の方が圧倒的に多い。だから最終的には、チームが自分を必要としてくれるのであれば断る理由が無いなと思いました」

 今年で40歳という「不惑の年」を迎えた佐々氏。迷いを捨て、確固たる決意を胸に沖縄へ戻った。

試合中、笑顔を見せる佐々氏(右)©Basketball News 2for1

変化した選手との「コミュニケーションの取り方」

 貴重な経験の連続だった琉球を離れた後の5年弱は、コーチとしての資質を磨く期間となった。最も大きい変化は、選手との「コミュニケーションの取り方」だ。以前はチーム「全体」との対話が多かったが、今ではより「個々」の選手と向き合うようになった。

 「だいたい12〜13人という人数と向き合う時、どこかで意識をしていないと、どうしても個々の選手と話す機会が少なくなってしまいます。みんな一人の人間です。例えば子どもが体調を崩して、寝ずに看病をしてから練習に来ることもあるかもしれない。マンツーマンの時間を大事にして、他愛もない話もしながら、それぞれの選手のことをできるだけ理解しようとするようになりました」

 もちろん、中には自分のことをあまり喋りたがらない選手がいる。それを含め、一人一人の個性や取り巻く状況、考えを知ろうとした。その積み重ねこそが選手との信頼関係を育み、チームの風通しを良好にしていくことを実感した。

 「必死に理解しようとする気持ちさえあれば、選手との関係も変化していきます」。飾らない言葉で選手の心に火を付ける卓越した「モチベーター」で知られるアカツキジャパンのホーバスHCからの学びや、宇都宮在籍時に産まれた第一子の子育てを通して一人の人間として成長できたことなどが背景にあったという。

選手とのコミュニケーション量も増えた©Basketball News 2for1

“アシスタント”するのは桶谷HCで8人目

 琉球では植松義也や脇真大ら若手の成長を後押しするほか、自らの役割を「補足屋さん」と評する。選手同士や、選手とスタッフ、そしてスタッフ同士、既に20年を超えるコーチ経験を生かして「もうちょっとこうした方がいいな、という部分を、コミュニケーションを取りながら補足していきたいです」と語る。

 その考えを象徴するエピソードがある。9月27日に開かれた東アジアスーパーリーグ(EASL)に向けた記者会見で、桶谷HCが明かした。

 「(プレシーズンゲームの)最初の頃、本人はベンチで僕の隣に座っていたんですけど、初めのイタリアでのゲームで『選手とコーチが二極化してしまっている』と感じ、『これは盛り上げないといけない』ということで、彼は選手の隣に座るようになったんです。これこそが、佐々マジックです」

 アシスタントコーチだけで4人いるなど、Bリーグの中でもスタッフ陣の層が厚いチームの一つである琉球。ともすれば、選手とコーチが「二極化」しかねない。だからチーム内で接着剤のような役割を果たす「補足屋さん」が必要なのだ。

 もう一つ、桶谷HCが佐々氏のコーチングを評する際、よく口にする言葉がある。「出汁(だし)」である。9月23日に沖縄アリーナであった韓国KBLの昌原LGセイカーズとのプレシーズンゲーム後、真意を聞いてみた。

 「(コーチのスタイルを味で例えるとして)もともとの素の味が、僕がカレー味で、代表のトム・ホーバスHCが醤油味だとしたら、彼はそこに出汁を加えてくれることによって、すごくチームの深みが増すんです。どこのチームに行ってもそれができる。(佐々氏が宇都宮で共闘した)安齋竜三の時もそうでした。僕は、彼が世界一のアシスタントだと思っています」

桶谷大HC(左)は佐々氏を“出汁”と評する©Basketball News 2for1

 これまでプロチームや日本代表において、小野秀二氏、アンタナス・シレイカ氏、トーマス・ウィスマン氏、長谷川健志氏、ルカ・パヴィチェヴィッチ氏、安齋氏、ホーバス氏の下でACを務めてきた佐々氏。今回はアソシエイトHCという役職ではあるが、HCを支えるという意味では桶谷HCが8人目となる。

 十人十色のスタイルを側で見て、支えてきた経験から、アシスタントの役割は「HCがやりやすい仕事環境を整えるのが僕らの仕事」と自認する。「映画でも家でもなんでもそうですが、何かを作る時に一人で完結することはできません。映画監督や建築士のイメージを補足する人が必要になる。僕は闘争心を出すから勘違いされることもありますが、アシスタントの時は全く自分の色を出しません。桶さんが見たいバスケットボールの絵を見せてあげたいです」と続ける。

 練習中から頻繁に桶谷HCと会話をしてイメージを擦り合わせ、選手に細かく動きの指示を出す。試合中は好プレーがあればいち早く立ち上がって喜びを爆発させ、手を叩いて鼓舞する。前回、琉球に在籍していた頃とは役職こそ違えど、存在感の大きさは変わらない。

 琉球は昨シーズン、ディフェンシブレーティングがB1で10位の108.3点となり、前々シーズンに1位だった103.0点から大きく悪化させたが、ディフェンスの強化に定評のある佐々氏の復帰でチームの象徴である堅守を取り戻すことも期待される。

 インタビューの最後、ファンに対するメッセージを求めると、言葉を選びながら熱いコメントを発した。

 「一言じゃ片付けられないですよね。感慨深い。このような形でチームに戻ってこられることは、普通の人生じゃあり得ない。また沖縄の皆さんと一緒に戦えることが本当にうれしいです。沖縄を盛り上げて、特別なシーズンにしたい。今までの想いを全部ぶつけたいです」

 佐々氏が効かせる「出汁」が、選手の陣容が大きく変わった今シーズンの琉球にどんな深みをもたらすのか。沖縄アリーナの観客席に座り、その変化をじっくりと味わおう。

(長嶺 真輝)

チームを鼓舞する桶谷HC(左)と佐々氏©Basketball News 2for1

関連記事

Twitterで最新情報をゲット!

おすすめの記事